教職論の授業でした

題名は教授が「三四郎」という小説から引用したもの。もちろん、私はそんな小説読んだことありませんからくわしいことはわかりません。どうも夏目漱石がどう訳すか非常に悩んだ格言だそうです。
さて、あまり関係はなくなってしまうのですが私が中学生のときの道徳の授業でのお話。

ある男の子が友人と電車に乗っていると、空き缶が転がっていたそうです。で、向かいの席のほうに転がっていったりしてコロコロカラカラ音がするんです。で、気になって拾おうとしても友人の目が気になってそれができない。結局降りることになるんですけど鬱々のした感情を抱いてしまった、という話。わかりにくい説明かと思いますがようするにテーマは「正しいと思うことを他人の目を気にしてしまいできなかった」という話なのです。

が、私たちは「環境がどうたの」などと的外れな感想文を書いたわけです。んで、担任の先生にちょっと怒られたんですがね。
でもいまならわかるんです。なぜ的外れになったか。
『みんな電車に乗ったことがなかった』んですよ。
多分ですがね。私も新幹線にしか乗ったことがなかったのでこの文をよんでもわけがわからなかった。水月かなんかですね「世界を決定するのはそのひとの認識」とかっていうのは。だから、ある話題をひとと話する場合、そのひとが話題に対して認識をもってないと成り立たない。
だから、他人に理解してもらうにはきちんとした説明が必要なんですね。そんな話でした。